OQTA

OQTA ネパールプロジェクト始動!

 

Interviewee 仲 琴舞貴
OQTA General Manager & Market Development

 


 

●イントロ

思いやりをインフラ化する「OQTA」がいま、新たなプロジェクトに挑戦しています。

ネパールの首都カトマンズから車で山道を約10 時間。エベレストに近いコタン(khotang)という村が、プロジェクトの舞台。その地で “Happy Circulation(ハッピーサーキュレーション)-幸せの循環-”を生み出そうと奮闘するOQTAネパールプロジェクトリーダーの仲さんに、お話をうかがいました。
 

●はじまりは、一人の青年の「夢」との出会い

 

— OQTA ネパールプロジェクトについて、立ち上がりの経緯を教えてください

 

きっかけは、このプロジェクトを行うコタンで生まれたあるネパール人青年Rくんとの出会いです。
彼はコタンの山間部の出身なのですが、カトマンズの名門中学・高校の奨学生に選ばれ、日本の大学に留学して、今は東京の大手企業で働いています。でも、彼のようなエリートは、ネパールでは本当に特別な存在です。
コタンではいまも、電気・水道などのインフラが整わず、現地での特産物や仕事もないため、進学できなかった彼の同級生たちは、出稼ぎで村を離れていっているのだそうです。
Rくんはその現実にショックを受けて、「友人のためにできることはなくても、その子供たちのために良い教育を贈ることはできるのではないか」と、まだ学生だった2011 年に自己資金でコタンに学校を作りました。

 

-Rくんが作ったコタンの学校の校舎。はじめは木と竹で作ったのだそう。

 

私もRくんの活動や夢を聞いてすごく感動して。
その後、OQTA のコンセプトを考えていく中で「OQTA の“人と人の想いを遠隔でつなぐ”ことができるシステムって、寄付という形にすごくはまるんじゃないか」と思うようになりました。そんな経緯があり、OQTA ネパールプロジェクトは始まりました。

 

●支援者と被支援者を未来に向けてつなぐ

 

–具体的には、どのような内容のプロジェクトなのでしょうか?

 

ネパールが抱える社会課題に対して、2つの柱から計画を進めています。
 
まず、現地の子供たちのを応援したいという支援者と、子供たち被支援者をOQTA でつなぎ、応援していることを伝える仕組みを作ること。
以前ドキュメンタリー映画を観て、今の寄付のあり方は、どこかの団体を仲介することで、最終的に現地の人の自立を妨げる形で届く場合があることを知りました。
「支援者たちの純粋な気持ちって救われないのか」と悩んでしまったのですが、OQTA なら直接人と人をつなぎ、自立を支援することができます。

 

-現地の大人たちを巻き込み、仕事と雇用を生み出す。

 

そしてもう一つは、現地に仕事と雇用を創出すること。
Rくんが、「ネパールの人は、現地に良いリソースがあっても、それを商品にする知恵がない」と言っていたのですが、それはとってももったいないことですよね。
そこで、日本のブランディングや商品化力で地域に名産品を生み出す会社を現地の人たちを主体として設立します。
ここでは単に雇用をつくるのではなくて、成長してもらえる場所を作ることが目的です。コタンの大人たち自身が「自分で立ち上がるんだ!」という気持ちで進んでいけるように、私たちはあくまでサポートの立場で組織化を担っていこうと思っています。
新しい事業を行う上では、関係者との信頼関係を作ることがとても大切です。

 

-コタンの学校で子供たちと踊る仲さん

 

実は、この2つの計画は未来に向かってつながっています。
コタンで学んだ子供たちが卒業すると、コタンには仕事がないので都会に出て行くしかないんですね。そうすると、結局そこには働き盛りの若者が残らず、この場所は何も変わらない。
なので、彼らが卒業した後に「ここで頑張りたい」と思える会社があったら素敵じゃないかと。長期的な意味も含めた、自立支援の2つの柱なんです。
 
それに、OQTA は一方通行のコミュニケーションなので、支援者に対して直接的なフィードバックはしないのですが、たとえば現地で作られた名産品が、時間や距離を置いて支援者に届いたら、それは間接的なフィードバックになるのではないかと考えています。

 

●「タナカ」のことが愛しくて仕方ない!

 

–このプロジェクトに関わって仲さんご自身が変化したことはありますか?

 

昨年11 月に初めてネパールを訪ねた時に、事情があってRくんの家に住んでいる11 歳の男の子に鳩時計を渡してきたんですね。名前は「タナカ」と言って、Rくんがつけた日本っぽいあだ名をそのまま呼んでいるんですけど(笑)
 
タナカに「日本に帰ったら鳩時計を鳴らすから、聞いててね」と言ってネパールをあとにしました。
コタンでは3日間一緒にいただけなので、日常に戻ると普通は気持ちが薄れていってしまうものだと思うのですが、3か月後に再び現地に行くまでに私、気づけばほぼ毎日ボタンを押していたんです。
2回目のネパールに着いて、真っ先に会いたかったのもタナカです。
ボタンを押すという行為を伴うと、どんどん気持ちが上書きされて、思う回数は思いの量と比例することを、身をもって感じました。

 

-家の手伝いをする「タナカ」

 

タナカのお母さん代わりのアサさんから「タナカが全然勉強を頑張らないから、コトブキ、毎朝5時半に鳩時計を鳴らしてタナカを起こして」と相談を受けたこともあります。「いやいや、そういう使い方じゃないよっ」って思ったんですけど(笑)

 

タナカは小学校に入った年齢が遅かったので、コンプレックスからかやる気がなく、いつも進級ギリギリの成績だったそうなんです。
そこで、毎朝そのくらいの時間に、タナカに音を届けていたんですね。そうしたら先日「タナカが試験にパスしたよ! クラスで三番目の良い成績だったよ!」
ってアサさんから連絡が。
私の応援がモチベーションに繋がり、彼自身の変化に繋がっていたと知って、嬉しかったです。

 

-施しではなく、「大切な笑顔」ができるということ

 

自分が体験して思うのですが、音だけを送るという行為は、言語も関係ないし、無理なく継続できるんですよね。
寄付にコミュニケーションツールを使うことって、言葉や距離を超えて「会いたいな」と思う大事な人ができること。
私はこれを “Happy Circulation”と名付けています。どちらか一方だけが幸せになるのではなくて、幸せになることがずっと循環していく寄付のあり方です。
そうすると、寄付は「施し」ではなく「人と人が関係性を作ること」と定義づけされていくのではないかなと感じています。

 

●ネパールから祈りが響く

–プロジェクトのこれからの展望をお聞かせください

 

OQTA.Incとしては、支援者と被支援者をつなぐツールを提供するという立ち位置なのですが、名産品のプロジェクトもサポートしているので、やらなくてはならないことや課題は山積です!
日本とはあらゆる環境が違うので、ネパールでなくてはできないこと、日本でなくてはできないことをそれぞれに進めながら、現地での責任者の育成や、一緒にやってくれる仲間も増やしていきたいと思っています。

 

私自身、ネパール語や英語が堪能ではないので、何を話すにしても通訳さんに頼りきり。現地で出くわす大変なこと、わからないことも多いので、常に誰かに頼らざるをえない状況なんです。
赤ちゃんみたいに周りの人に助けてもらう経験って、日本ではもうあまりできないので、人に感謝をしながらプロジェクトを進められることがすごく良い経験になっています。

 

-ネパールの美しい風景

 

これから支援者をどのようにつないでいくかという大きな課題もあります。
でも、私にとってのタナカとの出会いのように、幸せが広がっていくことを心から実感していますし、もともとOQTA 自体が精神的なつながりを基盤にはじまっているので、自信を持ってこの価値観を広めていきたいと思っています。
ネパールに行くたび、自分のサバイバル能力も、毎回高まっているように感じます(笑)

 

OQTA: http://wwww.oqta.com

OQTA Facebook: https://www.facebook.com/oqta8/

(取材・文 ひらばるれな)

 

 

>>第1回「新しい支援のカタチとは?」

>>第2回「雲の上の学校」

>>第3回「はじめての訪問1」

>>第4回「はじめての訪問2」

>>第5回「タナカ」

>>第6回「音を送るということ」

>>第7回「再びコタンへ」

>>第8回「タナカの夢」

>>第9回「変化のはじまり」

>>第10回「ネパールの神様」

>>第11回「What is education?」

>>第12回「Abinash」

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