OQTA

音を送るということ

 

テスト

 
7:00 携帯の目覚ましが鳴ると、
携帯のある場所に手を伸ばし、アラームを止める。
ネパールは日本より3時間15分遅いから、
現地はまだ朝の5:00前。
タナカに音を鳴らすにはまだ早い。

9:30 バスの中で携帯をひらく。
そろそろ起きたかな、とタナカに音を送る。
この音で目を覚ますところ、
もうすでに朝の仕事をしながら音を聞くところ、
朝日が差し込むタナカの薄暗くて散らかった部屋
しつこいニワトリの鳴き声に混じって
タナカがどんな場面で、どんな気持ちで聞いているかを想像しながら。
 
 
ネパールから日本に戻って約3ヶ月間、
ほぼ毎日、私はタナカに音を送った。
彼と一緒に過ごしたのはたった3日間。
正直言うと、日本に戻って日常が始まると気持ちは薄れていくと思っていた。
でも、結果は逆だった。
前にこんなことを聞いたことがある。
頭の中に浮かぶ想像や思いは、蒸気みたいに一瞬存在してもすぐに消えていってしまう。
ついさっきまで現実のように感じていた夢を、目が覚めると同時に忘れてしまうみたいに。
だから、その想像や思いを文字や音に変えて一度自分の外に出して、
さらにそれを見たり聞いたりすることで、人はもう一度自分自身にインプットできる。
この、音を送る行為も同じだと思う。
 
ふと、タナカを思う
 
ボタンを押して、音を送る
 
聞いている様子を想像する
 
これを繰り返せば繰り返すほど、私の中にタナカの存在が深く刷り込まれていく。
 
 
携帯が思いのトリガーになり、
音を送る行為がアウトプットになり、
インプットされた行為が習慣になっていく。
そして、
「人が人を思う回数は思いの量と比例する」
恋愛マニュアルとかに書かれていそうなこの言葉は、本当にその通りだと思う。
 
出会ってたった3日間のタナカが、
このたった3ヶ月間で家族みたいな存在に変わっていった。
よく考えたら、
先天的に与えられた家族以外の全ての大切な人は、どこかのタイミングで出会ってきた人たちだ。

テストとして彼に音を送ってみた結果、
3ヶ月で大きく変わったのは、自分だった。
 
 

>>第0回「OQTA ネパールプロジェクト」

>>第1回「新しい支援のカタチとは?」

>>第2回「雲の上の学校」

>>第3回「はじめての訪問1」

>>第4回「はじめての訪問2」

>>第5回「タナカ」

>>第7回「再びコタンへ」

>>第8回「タナカの夢」

>>第9回「変化のはじまり」

>>第10回「ネパールの神様」

>>第11回「What is education?」

>>第12回「Abinash」

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